相手の「感情」を尊重するということ ― 2012年01月23日 11時50分29秒
とある研修に行ってきました。
2日間で4万円です(苦笑)
研修テーマは、
「共感」を学び、
その共感する力を身につけよう、というもの。
参加者の方は、
看護師、児童養護、児童相談、スクールソーシャルワーカー、
ビジネス研修講師、家族カウンセラー、院生、などなど、
そうそうたる援助職種の方たちが、
日本全国、遠いところからいらっしゃってました。
講師の方は、おもに米国で学ばれ、
米国でのソーシャルワーカーやカウンセラーの経験も持ち、
これまたすごいキャリア(に見える)。
それらの体験をもとに、そのノウハウを教えるセミナーを開催してる、、、
と言った、エキスパートです。
1日目は理論を主に学び、
「感情」とは何か、を
脳の図を使って生理学的に学んだり、
へーーーーーと思うことがありました。
でも、いまいち感じる、居心地の悪さ。
けっこう感じる、居心地の悪さ ^^;
私の感じ方がおかしいのか?と査定してみますが、
他の研修で講師の人にそんな風には思わないので、
自分の感覚を信じてみたいと思います(笑)
居心地の悪さを、もっと具体的に言語化してみると、
講師から漂うそこはかとない「ディスカウントされてる感」というのか。
うーーん、違うか。
「あなたがたのことは、何でもわかってますよ」的オーラかな。
まぁ、なんでしょう、要するに「上から目線的」なものなのかなぁ。
うーん、なんかしっくり来ない気もしますが、
とりあえず、そんな風に言語化しておきます。
で、2日目。
ペアワーク、グループワークが入ってきますが、
このワーク。
ワークをする目的(ワークの位置づけ)が、
私自身は、
「話し手」が、「聴き手」に、2種類の聴き方をされた場合、
どちらの聴かれ方が、居心地の良さ(理解してもらえてる感)を感じられるか、
そして、聴き手は当然、「共感して聴く練習」をする
のためのワーク、と、とらえました。
で、私は、1番手の「話し手」となり、話し手の席に座りました。
講師は、私に興味を持っていたのでしょうか、
6グループあったけど、私のすぐ横にやってきて、
私の話を真横で聴いていました。
で、3分間の、私の話タイムが終わり、
私の話を聴いている「聴き手」に対し、
「~のように感じた」と私がFBを出して、終わりかと思いきや。
「もみじさんの話を聴いていて、~~で、
~~で、~~で、~~のような気持ち、というのが伝わってきました」
と講師が私に話しました。
ま、私は、うんうんと、その部分はその通りかな、
と感じたので、
「そうですね、そんな感じでしょうね」と同意しながら、
親への葛藤の話を自分なりに整理して、
怒りを通り越して、そのあとに残る悲しみを自覚しながら、
自分が生きやすいようにしていることを講師と2人の聴き手に話したところ、
話したところ。
「まだ怒りがある。それは怒りよ。怒り」と講師に言われました。
私としては、
今の自分の状態を、
「怒り」を通り越した「悲しみ(喪失感の意味)」と意味づけているところ、
「そうじゃない。まだ怒りを抱えている」と決めつけられてしまい、
驚くとともに、ふつふつと(別のw)怒りが生じてきました。
そのワークまで、さんざん、
相手の感情を受け取る、とか、
判断、分析しない、とか、
共感とは何か、とか、
立派に講義をされたり、ご自身の実践の話をされたり、とか、
サポーティブな話し方ではないけれども、
有意義なお話をしてくださった。
が、突然、そうやって、
私の「感情」を、分析して、私の言葉を否定し、
いや、そうじゃない、こうだ、と。
う~~~~~~~~~~~~ん
理論は話せるけど、現実の場でこれでは、と、
本当に、残念な気持ちになりました。
あるコミュニケーションを教える講師業をしている方が、
「現実のコミュの場でうまくいかない専門家(?)が、
少なからずいらっしゃる」と。
痛い目に会うのは、2度目。
なんでだろうw
私が、何かを引き起こしているのかもしれない。
私が、彼女たちを土俵に上がらせてしまっているのかもしれないけど、
でも、土俵に上がることを選択しているのは、彼女たちなので、
私のパートの責任ではなく。
と、不快なもやもやを抱えつつ、
REBT?
合理的な思い込みで、考えてみる。
コミュニケーションの専門家は、
自身もコミュニケーションで苦しんだからこそ、
コミュニケーションを研究し始めた、ということがあるかもだし、
私自身、アサーションを伝える側の立場にありながらも、
完璧なわけじゃない。
失敗は私だってするのだから。
だから、
だから、どうするか。
自分のありのままの気持ちが、言葉が、
相手にそのまま認められない、理解してもらえない、
受け取ってもらえないことの、
悔しさ、悲しさ、もどかしさ、理不尽さ、
などなど、
「不快」という感情。
それを、身を持って体験できました。
私が名付けた気持ちの言葉は、
相手にそのまま尊重してもらいたい。
「その名前は変よ、こっちの名前よ」
と、
「相手の許可なく」言わないようにしたいです。
そして。
自分もワークをたくさん取り入れた講座を作ったりしているところで、
「ワークの位置づけ=行う目的」を明確にしていることの重要性を、
再認識しました。
感情を取り扱う内容のワークショップは、
とにかく「安全」を確保してこそ、
参加者たちは、トレーニングできます。
守秘義務の徹底と、
批判、求められていない分析などしない、とか、
「場を安全に保つこと」は大事だなと、はっきり理解しました。
という一連のことを、
明日の2級ヘルプ養成講座の直前に体験できて、
よかったんですな、きっと(苦笑)
で、来月の、そのセミナーパート2 を受講するかどうか、
これまた、葛藤www
あーーーーーーーーーーくやしい!(苦笑)
by もみじ momiji_okiraku*yahoo.co.jp *を@に変えてくださいね
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コメント
_ もみじ ― 2012年02月03日 20時13分03秒
_ なごみ ― 2012年02月04日 21時36分58秒
もみじさんは
先生が誤ったことをされたと
思っていらっしゃるのですね。
_ もみじ ― 2012年02月04日 23時31分55秒
はい。アシスタントの方にも起こった出来事をお話し、
その場で謝罪の言葉をいただきました。教えていることと、実際にやっていることが違うことを認め、講師からも丁寧で誠実な謝罪のメールをいただきました。
アシスタントの方から話を聞いて、一晩じっくり私との間に起こったことを考えてみて、ひどいことをした、私を傷つけたと率直に誠実に誤ってくださいました。とても心に響きましたよ。
_ なごみ ― 2012年02月05日 09時17分23秒
私たちもケアマネふたりの独立単独居宅です。
以前よりこちらを覗かせていただいています。
いろんな意味でブログにももみじさんにもたいへん関心を持たせていただいており更新を楽しみにしております。
_ ブログ記事の補足(もみじ) ― 2012年02月06日 00時53分15秒
援助職向けの研修やコミュニケーションを扱う研修で行うロールプレイは、
参加者自身のプライベートなことを自己開示しながら行ったりするため、
守秘義務が課せられる、という意味です。
「講座が終わって、この部屋を一歩出たら、今日、お話したことは一切、お話はしないでください」というふうに守秘義務をお願いしたりします。
1)守秘義務の徹底
2)相手が求めていないのに分析や評価、判断をしないこと
この2点をルールとすることで「場の安全」が初めて保たれ、参加者はお互いを信頼して自己開示でき、ロールプレイを通して「感情」などについて学んで行くことができる、というものです。
_ くろ ― 2012年02月14日 18時45分12秒
ケアマネの書かれているブログはネット上に山ほどあります。私はもみじさんの飾らず“素”のままに書かれているブログに同業者として大変興味を持っています。もし、考え方等に遺憾を覚えるのであれば他をあたられてはいかがでしょうか。
もみじさん。
これまで通りのブログをこれからも楽しみにしています。
_ もみじ ― 2012年02月15日 02時27分47秒
コメントありがとうございます。心強く思いました。
本当にたくさんの方に応援していただり、励ましてもらったりして、
ブログを続けてこられました。(かなり更新頻度がアレですが)
昔の記事を見ると、本当に今とは別人のようです。
みなさんからの承認をもらって、一本ずつ、ほんとうに一本ずつ、
とげを抜いてこれたのだなぁと思っています。
ほんとに自分は、承認欲求の塊でしたから。
ブログで整理したいことが、ちらほら出てきました。
また更新したいと思います。
(いつになるやら…ですが、見てくださって、ありがとう ほんとに)
_ 同じく ― 2012年04月12日 00時47分12秒
しかし、貴方が与えた相手への不快感は、与えられた相手の中からは消えない。決して。逃げても良いけどその苦しみは貴方の中からも消えない。
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悔しい思いはしましたが、その後、講師から謝罪のメールをいただき、さすが!と思いました。そして、「なぜ自分がそういうことをしでかしたのか、そのプロセスを探る事が自分の課題だ」と講師は言っており、嬉しく思いました。
同じ援助職として、その姿勢は見習おうと思いました。
そして、講師でさえそのような落とし穴に落ちることがあるわけで、なぜ土俵に乗ってしまったのか、なぜ攻撃的になってしまうのか、援助職はやはり常に自己覚知、今、自分はどんな気持ちになっているのか、マインドフルネスの大切さがよくわかったように思いました。