毒親との「対決」は、本当は「アサーティブな対話」2011年06月04日 13時45分22秒


すごい、久しぶり(過ぎる)、ブログの更新。


ときどき、見ていてくださった方もいるのかしら。

だとしたら、
ぜんぜん、更新しなく、
ツイッターでつぶやいてばかりで、申し訳ありませんでした。




ひさびさに、ブログで、
考えや想いを整理したい、とちょっと思いまして。



アサーティブネスの修行が始まり、早一年。


先月は、自分のプレゼンテーションも終わり、
少し、プレッシャーから解放されて、

後は、溜まりに溜まった、
支援経過と格闘するだけが残されている、


そんな状況ですが(笑)、



アサーティブネスの修行をしながら、
さらに、さらに、深く、深く、


人との関係性を「勝ち負け」で考えない、ということ

人を「支配しない」ということ



そんなことを意識してきた一年でした。



自分が、相手より「優位に立っている」とか、

自分が、相手より「優位に立ちたい」とか、



そんな思いから自分を解放し、


どんな「位置」の自分でも、いい


人としても、援助者としても、
相手と、「対等」に向き合う、ということ


そんなことを意識した一年でした。



そんな中、


現在、進行形の認知症のクライアントさん3ケース。


3ケースともに、
親子間の確執があり。


かなり苦しみながら「自分たちの親」と関わっていて、
痛々しくもあり、
健気でもあり、


支援にあたりながら、
「親子という関係性」に、

ますますの脅威と、驚異と、興味を持ちつつ、



介護者である「子どもたち」が、なんとか、もっとラクに、

「自分たちの親に関われるように」、と、


家族システム、家族カウンセリング、
アダルト・チルドレン、機能不全家族、
アサーティブネスなどなど、

自分が、かじったモノを総動員して(笑)、

ケアマネ業務をやってやるぜ、と思っている中。



あるケースの、長男・妻さんが、
訪問した帰り際に、
自分の生い立ちのことを話し始めました。
ぽろぽろ泣きながら。


たしかに、しんどいしんどいストーリーでした。
虐待、と言っていいでしょう。


で、聴いているうちに、
「親をゆるさないといけないのに、それができない」と言ったので、


「毒になる親」を読んでもらうことを勧めましてね。


「ひどいことをされたり、してもらうべきことをしてもらえなかったのだから、
 別に、許さなくてもいい。
 許し、ということに関しては、もっと後でもいい」と伝えて。


で、「毒親」本をお貸しする事になり、
まぁ、貸す前に、今一度、久しぶりに読んでみたのでした。



そうしたら。



以前、読んだ時は、理解できなかったことが、
アサーティブネスを学んだ今、

あの本が言っている意味が、明快にわかったんですねぇ。



「毒になる親」の最後、


「親との”対決”」



数年前に初めて読んだ時、
書かれている内容と「対決」が、どうにも合致せず、
=どうしたらいいのか、よくわからず、


読んだけれども、
「親との”対決”」は、決行しないままにしていました。


で、読後、しばらくした後、
アスク・ヒューマン・ケアのセミナーで、

水澤先生が、


「あの本にある”対決”の意味は、
 本来は”対話”。
 翻訳する段階で、微妙にずれてしまった」


と教えてくれて、


へーそうなのか、
でも、「対話」なんて、それこそ、できないなー



と、思っていたので、
「対決・対話」を放置していたところ。



昨日、改めて「毒親との対決」部分を

「対決」を「対話」に置き換えて読んでみたら(笑)、



毒親との「対決」というのは、


「親と、アサーティブに対話をせよ」


という意味だと、わかったのでした。



ロール・プレイをすること。
親を攻撃することではないこと。
親をやっつけるためではないこと。
「対決」するにあたって、場面を設定しておくこと。

などなど、

「対決」をする前の「注意書き」として、
そんなことが書かれています。


そして、親と「対決」するときは、
いきなり、重たいこれまでのことを、ドーンと言うのではなく、

軽いものから伝えてみなさい、とある。

軽いものとは、
今、本が手元にないので、ウロ覚えだけども、
たしか、
「親からの食事の誘いを断る」だとか、
「そういう言い方をするのは、やめてほしい、と、はっきり言う」だとか、

そんなこと。


これ、ほんとうにアサーティブトレーニング、そのもの。



なんか、


自分が学んできたもの、が、


びびーっと、一本の線でつながった、、、



そんな感じがしました。



毒親の介護をせざるをえない「子どもたち」が、
現場には、たくさん、いるわけで。


毒親も、望んで毒親になったわけではなく、
親もまた、その親から、毒を盛られたのだろうわけで。


毒の連鎖を断ち切るために、


幼い子どもたちが、毒を盛られないためには、
親が毒を吐かないで済むように、


家庭の中が、子どもたちにとって、家族全員にとって、
安全、安心な場となるように、


アサーティブネスを伝えていきたいなぁ、と、
しみじみ思った夜でした。



by もみじ momiji_okiraku*yahoo.co.jp *を@に変えてくださいね


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