心の地雷 ― 2011年01月15日 14時13分32秒
時折、のぞいてくださったかもしれない皆さま。
どうも、ありがとうございます。
あけまして、おめでとうございます。(遅すぎすんません)
ものすごい久しぶりの更新です。
ものすごい久しぶりの更新なのに、
本日は、クライ、オモタイ日記でございますので、
それ系を読みたくない方は、
スルーしてくださいまし。
ツイッターでつぶやくようになってから、
ツイッターのハードルの低さにそそられて、
日々、業務で、私事で、考えたこと、感じたことなど、
ブログではなく、ツイッターにつぶやいていました。
でも、ツイッターを始めて、早数ヶ月。
ツイッターのいろいろな特徴を感じてきました。
情報が、向こうからどんどん流れてくるツイッターは、
認知の仕方、受け止め方で、
ずいぶん違ったものになる感じです。
何せ、「調べたい」「知りたい」と思ったことでなくても、
どんどん、画面に流れてくるので、
読みながら、
「ああ、こんなこともできてない自分」
とか、
「世の中の人はこんなことをやっているのか、自分なんて、まだまだ」
とか、
そんなふうにとらえ始めてしまうと、
どんどんダメな自分
が意識されてしまい、
しんどくなったりもするツイッターですが、
自己信頼をしっかり持てて、
自己肯定感もしっかりあれば、
色々な人の情報を読んで、
「おー、なるほど。そうすればいいのか!」
とか、
「うんうん、みんながんばっているね、私もがんばろう」
とか、
自他尊重できる自分を意識できたりと、
手軽なツイッターだけれども、
奥が深いツイッターとも言えたり、
自分に合った、
自分に適した使い方をするのは、
何事でも大事かな、と思います。
それでも、総合的には、
情報源として、
そして、
特定の人とのやりとり、も、
非常に有益であることは、間違いないと思います。
特に、独立ひとりケアマネは、
井の中の蛙になりやすいですから、
自分の業務に関するつぶやきに、返信があったりすると、
とても勉強になります。
それと、
140字でのやりとりは、
いかに自分の考えや思いを言語化できるか、
けっこう訓練にもなりますね。
日本語での140字は、かなりの意味を含められるので、
日本でツイッターが流行っているのも、
わかりますですね。
そんなツイッターユーザーの自分ですが、
最近、自分の【心の地雷】を意識する出来事が
ありました。
あるつぶやきに、猛烈な怒りを覚えたんですね。
その、あるつぶやきとは、
「水に流す」ってのが、また難しい…
流したくないのです。
恨んでいたいし、気がおさまるまで責めていたいし…
というもの。
読んだ瞬間、
自分で「怒り」かどうかもわからないくらい衝撃を受けました。
今、その瞬間を思い起こして、描写してみると、
ナイフがささり、傷口がパカっと開き、血が流れ、
瀕死の状態になっていく
そんな感じですかね。
なんだって、私がそんな感情になったのか。
親とのことを浄化できない自分は、
未熟者
そんなふうに「言われたように感じた」からです。
そして、防衛本能が働いたのか、
色々な理由、理論を総動員して、
色々な「人間関係」のもとに生じた重たい感情を
人は抱えて、共に生きていかねばならないと思うが、
「親子関係」という人間関係だけは、
同様に、簡単に論じるべきでない
みたいに弁論ぶって、
心の中で泣き叫んでいました。
恨んでいたいなんて、思ってない。
気がおさまるまで、責めていたいなんて、思ってない。
許したいと思ってる。
無くせたら、とも思っている。
けど、なかなか、なかなかできない。
子ども時代、
親に甘えられなかった自分に甘えてくる母親に抱く嫌悪感。
そんな気持ちと闘いながら、
でも、 今以上、親を嫌になりたくないからこそ、
距離を置いて、がんばっている自分。
正月も帰省して、一緒におせちをつまんできた。
そんなギリギリのところで、ふんばりながら、
「親との関係性」を考えているのに、
「水に流したくない
恨んでいたいし、気がおさまるまで責めていたい」
という言葉は、
ちょっと馬鹿にしてないか。
そんなふうに感じて、
新年早々、
心が疲れた。。。。。
というふうになることが
心の地雷。
新年早々、
心の地雷が、
先のつぶやきにより踏まれて、暴発し、
破片でケガをして、流血してしまいました。
そして、防衛本能によって、理論を総動員し、
ツイッター上で、「自身のつぶやき=ひとりごと」として、
反論してました。
そして、時間の経過とともに、
今度は、反論したこと自体を罪悪感と共に、
後悔する。
ああ、なんであんなふうに反論してしまったのか。
なんで、もっと穏やかに流せなかったのか。
いや、まぁ、穏やかに流せないからこそ、
心の地雷なんだけど(笑)
その後悔や自己嫌悪のループに入り、
けっこうきつい日々を送っている2011年始まり(苦笑)
心の地雷を無くせたら、一番よいのだろうけれど、
けども、
心の地雷は、自分にとって、
ある意味、
今の自分という存在の、核になっている部分でもある
その部分に自己覚知できたからこそ、
自分理解をしていき、同時に、
人間理解に関するさまざまなことを学び、
そしてそれは、自然と、
ケアマネという対人援助職において、
クライアント理解をすることにつながり、
=毒を吐く人間の理解につながり、
とてもとても、貴重な一連の流れ。
だから、
相談援助職という自分は、
この自分の、心の地雷を
個の自分の「核」として、
大事にしていく。
忘れずに大事にして、
クライアント理解、他者理解の核として、
「利用」する。
その代わり、絶対に、その地雷は踏まれないようにするのだ。
絶対に踏まれないように。
自分の身は、自分で守る。
そんなことを思いながら、
自己信頼の炎をまた勢いよく燃やせるよう、
じたばたしている新年、1月。
しかしながら、心の地雷が暴発し、
負傷して、残念ながら、
その後遺症が若干、残ったもよう。
納得いく援助実践ができていない。
影響がでかいんだな、と思う。
後遺症は、適切にケアしなくては。
がんばれ、もみじ。
by もみじ momiji_okiraku*yahoo.co.jp *を@に変えてくださいね
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